空を飛びたかった
私が、なぜ道教の実践的な瞑想といったトレーニングをしたかというと、自由に空を飛ぶ事が出来る、飛行仙になりたかったからなのです。ユング心理学や、東方神霊廟で道教に大変強い興味を抱きました。それで、調べていたら、飛行仙という仙人が書かれていたのです。
現在の私は、呼吸が小さくなったのですが、飛行するまでには至っておりません。その他の、不思議な仙術があれこれと使えるわけでもありません。呼吸がかなり小さくなったくらいです。それだけでも驚きなのですが。
今思えば、仙術で空を飛ぶというのを本気になってとらえていたころは、現実離れしすぎていたかと思います。NARUTOとかドラゴンボールの漫画の影響でしたね。でも、あのときは、本気で仙術で飛びたかったのです、空を。
過去の私に告げるとしたら、とりあえず、仙術は、呼吸が止まったり小さくなるくらいだよ。それだけだよ。今のところはね。と告げたいですね。
果たして、未来の私は、あらゆる仙術を使って夢のような事が出来るようになっているのでしょうか。ちょっと首をかしげてしまいますね。楽しかったですね、あの頃は。空を飛びたいなあ。
仙術じゃなくても、飛行機とかパラグライダーで空を飛べば良いじゃないかと思ってしまうと、夢が崩れますね。まあ、そんなおばかな私でした。